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福井地方裁判所 昭和54年(ワ)187号 判決

原告

高原一郎

右訴訟代理人

伊神喜弘

被告

右代表者法務大臣

嶋崎均

右指定代理人

安間雅夫

外一一名

主文

一  原告の主位的請求を棄却する。

二  被告は、原告に対し、金一〇万円及びこれに対する昭和四七年六月二九日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の予備的請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主位的請求

(一) 原告と被告との間で、原告が、被告に対し労働契約上の権利を有することを確認する。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

若しくは

(一) 原告と被告との間で、原告が、被告の職員たる地位を有することを確認する。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

2  予備的請求

(一) 被告は、原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和四七年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

(三) 第(一)項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  予備的請求が認容され、仮執行宣言が付される場合には、担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和二六年八月二三日生れの男子労働者であり、被告は、公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。)二条一項二号イに定める企業を経営するものである。

2  原告は、昭和四六年一一月六日から、被告経営の北陸郵政局管内福井郵便局(以下「福井局」という。)に臨時雇として雇用され、同局で、昭和四七年三月末までは集配課、同年四月から六月ころまでは集配課及び郵便課、それ以降は集配課の各業務に従事していた。

3  原告の雇用の実情は、次のとおりであつた。

(一) 原告は、臨時雇として雇用されたものであるが、福井局は、原告の雇入れに際し、名目上は臨時雇とするか外務職員採用の際には優先的に採用する旨原告に告げ、原告は、これを前提として働くこととした。

(二) 昭和三五年九月二六日公達第五二号として定められた「郵政省非常勤職員任用規程」(以下「任用規程」という。)によれば、臨時雇は、任期一日の日々雇用とされ、二か月以内の定められた期間内においては、日々雇用を自動更新することができる(同規程五条三号)とされる雇用形態であり、事務補助員らとともに郵政省における非常勤職員の一つとされている。そして、臨時雇は、年末年始、夏期等の臨時的繁忙、職員の一時的欠務等の場合の後補充要員としてのみ雇入れることができるものとされていた(同規程二条六号)。

また、政府は、昭和三六年二月二八日に「定員外職員の常勤化の防止について」との閣議決定(以下「本件閣議決定」という。)をなし、右同日以降常勤労務者を新規に任命しないこと、継続して日々雇入れることを予定する職員については、心ず発令日の属する会計年度の範囲内で任用予定期間を定めること、被雇用希望者に対しては、任用条件、特に任用予定期間を示し、確認させること、採用の際交付する人事異動通知書には、右の任用条件を明記するとともに、任用予定期間が終了した後には自動更新しない旨をも明記すること等が定められた。

(三) ところが、福井局では、雇用期間も仕事内容も極めて限定されている年末年始や夏期の学生アルバイトとは別に、恒常的に不足している本務者(非常勤職員以外の職員)の補充のために、臨時雇を積極的に採用していた。

このようにして採用された臨時雇は、雇用期間が長期に及ぶばかりか、仕事内容も本務者と異なるところがなく、学生アルバイトとは明確に別の雇用類型として意識され、臨時雇の期間に本務者としての試用期間の性格をもたせた人事の管理がなされていた。

(四) 原告に対しても、福井局は、本務者と同質の仕事を同量命じ、本来臨時雇には禁じられている時間外労働も長期間にわたつて長時間命じていた。

すなわち、福井局においては、臨時雇も一つの区を一人で担当し、その際配達のみ担当するアルバイトとは異なり、書留受領をはじめ郵便物の授受、道順組立区分、配達、事故処理等の業務までをすべて受持ち、配達原簿の記入整理も担当していたのである。また、速達の配達や超過勤務もあり、年末年始の繁忙期には週休も与えられていない。そして、臨時雇は、本務者とともに班員と考えられ、現に、アルバイトは参加しない業務伝達や業務研究会に参加し、その結果をアルバイトに伝達していたし、アルバイトには貸与されない衣服も臨時雇には本務者とほとんど変わりなく支給されていた。さらに、臨時雇の下で働くアルバイトが起こした事故につき、臨時雇が責任を追及されたこともあるのである。

そのうえ、人事院規則(以下「人規」という。)一五―四第一条によれば、臨時雇に対して超過勤務を命ずること自体、その制度趣旨に反し疑問であるのに、福井局は、臨時雇にこれを命じ、原告においては、昭和四六年一二月から昭和四七年一月まで連続して一時間ないし二時間、ときには三時間もの超過勤務をし、また、昭和四七年五月中旬から六月にかけては、毎日一二時間も勤務をしていた。ことに、右の五月中旬から六月にかけての超過勤務分については、福井局は超過勤務手当さえ支給しておらず、原被告間の福井地方裁判所昭和四七年(ヨ)第九二号事件の仮処分決定後にあわてて支給したことがある。

(五) 福井局は、原告の雇用に際し、予定雇用期間を設けたり任免の手続を記した辞令簿を作成したりしたが、その手続は著しく形骸化され、辞令簿の記載には後日記入されたものさえあり、原告に対する辞令の告知もほとんどなされていない。

(六) また、非常勤職員の常勤化防止のために臨時雇の前記雇用期間を更新しない旨の定めは無視されて、原告の雇用期間は八か月に及び、その間、辞令簿上は数度にわたつて予定雇用期間が設けられたこととされているが、昭和三六年七月二四日郵人五〇五「臨時雇を再雇用する場合の取扱い(1)(基本通達)」(以下「基本通達」という。)及び同年一〇月一九日郵人六五〇「臨時雇を再雇用する場合の取扱い(2)(運用通達)」(以下「運用通達」という。)によつて再雇用との間に置くこととされている雇用のない期間(七日あるいは三日の中断期間)もほとんど設けられない運用がされていた。

(七) そして、福井局集配課の土井集配課長、野口課長代理らは、おりにふれ次のように、原告に対し本務者として採用されることを期待させる言動をした。

(1) 野口課長代理は、昭和四六年一一月二日、福井局に架電して、採用方を申し出た原告に対し、電話で「本年の本採用は終わつたが、しばらく臨時雇として働いておれば、そのうち本務者になれる。次の試験は来年になる。」旨述べた。

(2) 同月五日、採用の件で福井局を訪れた原告に対し、安井主事は、勤務時間と給与の説明をした後、「朝は早いし給料は安いがやれるか。真面目にやつておればそのうち本採用になれるから。」と述べた。

(3) 同月末ころ、福井局三階に臨時雇の者、土井集配課長、野口課長代理、安川主事等が集まつて自己紹介をした後、土井集配課長が、「だれが最初に採用になつていくかは全部局側の権限だから、順番について文句を言つてもらつては困る。」と述べた。

(4) 昭和四七年二月初めころ、原告は、野口課長代理から身体検査に行くよう指示され、これを受けた。原告は、本採用のための健康診断と思い、同僚の本務者も「いよいよ採用だな。」と述べていた。

なお、その際に作成されたのが採用時身体検査票であり、同票には原告を採用して差支えない旨の記載がある。

(5) 同年三月二九日、原告は、土井集配課長に呼ばれ今後どうするか尋ねられたので、今後も福井局で働く旨答えたところ、同課長は、「試験は六月か七月くらいになるけれども、それまで頑張つてやつてくれ。ちよつと明日から違う仕事になるけれども、違う仕事を覚えるのも意味があるから。」と述べ、翌日から午前中集配課、午後は郵便課での勤務を命じた。

(6) 同年四、五月ころ、野口課長代理は、原告に対し、「君、朝も夜も働いているということはだれに聞かれても言うなよ。君も困るし、こちらも困るんだから。採用になるまでもう少ししんぼうしてくれ。」と述べた。

(八) 以上のとおり、福井局における原告の雇用の実情は、常勤職員の実質を有するものであつたが、臨時雇につき右のような運用がなされるについては、次のような背景があつた。

(1) 公務員の定員は、昭和二四年以降法律によつて厳格に規制されることとなり、これは郵政省においても同様であつた。

(2) しかし、年々増加する事務量に対し、法定の定員では仕事を処理しきれない事態が生じた。とくに郵政事業は、そのほとんどが性質上、人手によつて処理しなければならない仕事であり、機械化にも限度があるところ、昭和二四年と昭和三四年との郵便物の数を比較すると二倍以上に増加しているのに対し、定員の増加は極めてわずかなものにすぎなかつた。

(3) このような事態に対し、本来欠員補充や定員増加によつて解決されるべき問題が、非常勤職員の雇用により急場をしのぐ実態があらわれるに至つた。とりわけ郵政事業においては、公然と定数が認められる定数非常勤職員が生じ、あるいは、いわゆるアルバイト以外に、長期間継続して雇用される短期非常勤職員と呼ばれる職員も生じた。これらの非常勤職員の仕事内容は、本務者と変わるところがなく、雇用期間は長期化して常勤化していた。

(4) 右のように常勤化した非常勤職員の労働条件は劣悪であつたため、全逓信労働組合(以下「全逓」という。)では、昭和三四年ころからこれら職員の本務化を要求し、その結果、昭和三五年一二月二一日に郵政省との間で非常勤職員の本務化につき妥結した。このなかで、二か月以上雇用した非常勤職員を全部本務化せよとの全逓の要求に対し、郵政省は、昭和三六年度中に全員本務化するようあらゆる努力をするとして要求を承諾したのである。

これにより約一万七〇〇〇人の非常勤職員が本務化の対象とされたが、昭和三五年以降の飛躍的に増加する事務量に対して、郵政省は、その後これに見合う定員の増加をはからなかつたため、郵政事業は全国的に人員不足に悩んでいた。

(5) この対策として、事務補助員の採用も考えられるが、任用規程によれば、これも定員の枠でしばられており(四条)、また、現実にもほとんど活用されず、人員不足解消の決め手とならなかつた。そして、本来事務補助員として採用されるべき者が、定員のない臨時雇として採用され、長期間雇用されることになるのである。

(6) 臨時雇は、一定期間働くと次に臨時補充員として採用された。臨時補充員は、郵政省が昭和二八年一一月に郵政省公達第一二七号「郵政省臨時補充員任用規程」(以下「臨補規程」という。)をもつて「別に定める定数の範囲内で」、六か月以内の期間を定めて、臨時的任用を行なうことができる旨定めたことに基づく職員である。そして、臨時補充員になると郵政省の研修所に初等部訓練対象者として入所し、所定の訓練を経たうえ本務者として採用されるという仕組みになつていた。すなわち、臨時補充員が、非常勤職員が本務者になるための研修所初等部訓練生となる資格要件のような形で運用されていたのである。

(7) ところで、政府は、昭和三六年二月に「定員外職員の常勤化の防止について」との本件閣議決定をした。

政府がこのような閣議決定をしたのは、定員外の常勤化した職員の発生を未然に防止するためであり、とくに日々雇入れ形式で雇用する非常勤職員の多数が当時常勤化していた事実をふまえ、再びこのような形式の非常勤職員が常勤化することを厳に注意するため、具体的に任命権者のとるべき措置を定めたのである。

(8) しかし、本件閣議決定後も、臨時雇が臨時補充員あるいは本務者になるまで雇用が継続されるとの実情は変わらなかつた。そして、臨時雇の常勤化の防止はされず、むしろ逆に臨時雇が本務者採用のための試用期間的雇用として積極的に活用されたのである。そして、このように臨時雇の雇用が常勤化すれば、任命権者において被雇用者に任用条件とくに予定雇用期間を示し確認させるとか、人事異動通知書に任用条件を明記し予定雇用期間終了後は自動更新しない旨も明記すること等本件閣議決定の要求した事項は、郵政当局においても臨時雇においてもほとんど意味のない行為であり、必然的に形骸化していつた。

(9) また、臨時雇の任用期間の運用についても、前記のとおり任用規程は日々雇用の更新の最長期間を二か月とし、この期間をさらに更新することを予定しておらず、昭和三五年一〇月二〇日郵人第七二五号「郵政省非常勤職員任用規程の運用について」(以下「任用通達」という。)も「臨時雇については、いかなる場合においても予定雇用期間を更新し、または延長することはできないものとする。」(五条関係2但書)としており、さらに、昭和三五年一〇月二〇日公用私信「郵政省非常勤職員任用規程の運用」も右趣旨を撤底させているにも拘らず、郵政当局は、その後、中断期間の設定という手段で臨時雇の雇用の長期化を進めたのである。

すなわち、昭和三六年七月二四日郵人五〇五の前記基本通達は、予定雇用期間を二か月として雇用した者を、その予定雇用期間の満了によりいつたん退職させ、改めて採用する場合には少なくとも七日間の間隔を置くものとし、一定の場合にはこの間隔を三日間に短縮できると定め、さらに、同年一〇月一九日郵人六五〇の前記運用通達は、諸般の事情で退職の日から再採用の日までに七日間の間隔を置くことが極めて困難な者は、右の間隔を三日間に短縮できるものとした。この定めは、事実上、臨時雇の再雇用のための中断期間を七日間から原則として三日間に短縮するものであつた。

(10) 以上のように、通達や郵政当局の臨時雇に対する現実の取扱いは、本件閣議決定を無視するものであつた。そして、このような臨時雇の常勤化、試用期間的運用は、昭和四一年一〇月二〇日公達第一〇二号「郵政省職員採用規程」(以下「採用規程」という。)が施行された後も変わることなく、原告が福井局に臨時雇として雇用されたころも同様であつた。

4  ところが、以上のような雇用の実態にも拘らず、福井局は、昭和四七年六月二九日、原告に対し、同年七月一日をもつて雇用期間が満了する旨告げ(以下「本件雇止め」という。)、以後同年七月一日をもつて原告は当然退職したとして原告の雇用上の地位を否定している。

5  しかしながら、本件雇止めは、労働基準法(以下「労基法」という。)所定の手続に反するものであつて無効である。

すなわち、前記原告の雇用の実情からすれば、原告の被告に対する雇用上の地位は、期間の定めのないものというべきであり、仮に期間の定めがあるとしても、原告が、その更新を期待することが法的に保護されるべき地位にあるのである。

したがつて、このような地位にある原告の雇用関係に労基法の法理が適用されることは明らかである。

そうすると、原告の雇用を終了させるためには、当然解雇予告の手続が必要とされるところ、被告は、このような手続を何ら履践していないのであるから、本件雇止めが労基法二〇条、二一条に反し無効であることは明らかである。

6  また、本件雇止めは、次のとおり原告の思想、信条を嫌悪した差別的取扱いであるから、この点においても憲法一四条、一九条、労基法三条に違反し無効である。

(一) 郵政省では、いわゆる「郵政マル生」といわれる労務管理政策がなされていた。その実相は、組合活動の制限と否認、団交拒否、組合活動家への不利益取扱、中間管理者への教育と「良識者グループ」の育成、第二組合である全郵政労働組合(以下「全郵政」という。)の育成、助長、青少年労働者対策等であるが、その核心は、全逓を敵視し全逓への組合攻撃を目的とした不当労働行為である。このような政策は、昭和三六年に組合から反動と呼ばれることを誇りとすること等を内容とする「新しい管理者」という教科書が出されて以来強化された。

(二) また、郵政省は、青少年対策に力を入れ、郵政局長が青年労働者を私的生活まで含めて直接に支配し、一方で全逓への敵視をあおり、組合を内部から崩壊させようとした。その一つが、年長職員が青年職員に対し公私の面倒をみるとの名目の下に青年職員に全逓敵視の教育をし、全逓組合員との接触がないように監視するいわゆるブラザー制度の導入である。

(三) そして、新入職員は、採用されたい一心で全逓に入らないという一札を入れたり、保証人がこれを保証することを条件としたりすることが行なわれており、第二組合である全郵政への加入と本採用とが一体となつていた。

このため、福井局では昭和四五年三月以降、毎年十数名の新採用があるのに、新規採用者が直接全逓に加入する例はまつたくない。

(四) このような攻撃のため、昭和四一年当時「二五万全逓」といわれた全逓の組織状況は、昭和四七、八年には「二〇万全逓」といわれるまで組合員の減少をみた。福井局でも同様であり、三〇〇名いた全逓組合員が、昭和四七、八年には八八名に減少していたのである。

(五) 原告は、高校時代活発に生徒会活動をしており、三年次には副会長、書記等を歴任し、革新自治会の名の下に学園民主化運動を展開した。また、卒業式の予行演習の際には、「君が代を歌うのは何故か。」と聞いたため、学校当局から卒業式への参加を禁止され、かつ卒業が三日延期された。

福井局で働き始めてからも、社会党に出入りし、福井県評主催の集団示威運動にも参加して政治活動、組合活動に大きな関心をもつていた。そして、本務者となつたら当然全逓に加入しようと考えていた。

(六) 福井局では、昭和四七年六月に入つて原告ら当時臨時雇として働いていた者の身上調査をなした。この調査後の同月一〇日ころ、原告は土井集配課長から局長室に呼ばれ、「近々試験があるから思想信条をはつきりさせておいたほうがいい。」とか「たとえば局の前をデモ隊が通るがどう思うか。」、「連合赤軍をどう思うか。」などと質問を受け、さらに、同月一五日に何の予告もなく突然実施された臨時補充員採用選考の面接においても、高校時代の生徒会活動や学生運動の活発な福井大学の学生との交友関係、学生運動のことなどにつき質問された。なお、原告と同様臨時補充員に採用されなかつた臨時雇の村井辰男も右面接の際に前の職場での組合活動のこと、生徒会活動のこと、本採用されたら全逓と全郵政のいずれに加入するかなどと質問された。

(七) このような管理職員の言動から解雇の危機を感じた原告は、全逓高志支部に相談に行くなどして対策を考えていたところ、土井集配課長を通じて本件雇止めの通告を受けたものである。

(八) しかしながら、雇止めになつたのは当時本務者を希望していた臨時雇六名中原告ただ一人であり、その余の者は引き続き臨時雇として雇用され、その後本務者として採用されているところ、原告は、他の者に比べて雇用期間も最も長い一人であつて、しかも真面目に働いてきたこと、本務者となつた者は、すべて第二組合である全郵政に加入していること、そして、この時期が郵政マル生の最盛期であつたこと等を前記各経緯とともに考えるならば、本件雇止めは、郵政マル生による新人局員の事前選別によつて、原告の思想、信条を嫌つてなされた差別的取扱いであることが明白であり、憲法一四条、一九条、労基法三条に反して無効である。

7  さらに、以上に述べた原告の雇用の実態からすれば、原告は雇用期間が満了しても引き続き雇用が継続されることにつき期待権を有しているから、本件雇止めの通告は合理的な理由がないまま雇用期間の更新につき原告の有する法的期待権を奪うものであつて、信義則上も違法、無効であるといわなければならない。

したがつて、この点からも本件雇止めは無効であり、原告の被告に対する労働契約上の権利若しくは職員としての地位が認められるべきである。

8  仮に主位的請求が認められないとすれば、次の理由により予備的請求をする。

(一) 原告は、請求原因3における雇用の実情の下に、雇用の継続に対して期待を有するに至つた。

(二) 右の期待は、本来、労働契約上の地位若しくは職員たる地位として保護されるべきものであるが、国家公務員法(以下「国公法」という。)上の制約により、右の地位が認められないとすれば、このような期待を原告に持たせるに至つた労働関係を生ぜしめた福井局の人事管理自体が違法であるといわざるをえない。

(三) そして、前記雇用の実情をみれば、郵政当局は、原告が雇用の継続はもちろん、本務者としての採用への期待を持つことを十分承知しながら違法な人事管理を積極的に推進していたのであつて、右は故意による違法行為というべきであり、仮にそうでないとしても過失に基づくものである。

したがつて、被告は、原告に対し、福井局の違法な人事管理によつて、原告に国公法上の制約により保護されない地位への期待を持たせるに至つたことにつき損害賠償の義務がある。

(四) 原告は、被告の本件不法行為により、次のとおりの損害を被つた。

(1) 労働契約上の権利若しくは職員たる地位に基づく財産的損害

本件雇止め時の原告の臨時雇としての給与は、一か月金二万五四七八円であつたが、原告には本務者として採用される見込みがあつたこと、昭和四七年以降の原告の年令に該当する男子労働者の賃金センサスによる年間収入の推移等を考慮すると財産的損害が金三〇〇万円を下ることはありえない。

(2) 精神的損害

原告は、本件雇止めにより人生の歯車がまつたく狂い、そのまま今日に至つているのであつて、原告の精神的打撃は極めて大きく、その精神的損害は金三〇〇万円を下らない。

(3) 弁護士費用

本件の難しさ、弁護士の手数、労働量の多さ、時間の長さ等を考えると、弁護士費用のうち少なくとも金六〇万円は本件不法行為と相当因果関係のある損害というべきである。

(五) 右のとおり、原告は、本件不法行為により少なくとも金六六〇万円の損害を被つたのであるが、本訴においては右の内金三〇〇万円につき請求する。

よつて、原告は、被告に対し、主位的には労働契約上の権利を有することの確認若しくは職員たる地位を有することの確認を、仮に主位的請求が認められないときには、予備的に不法行為に基づく損害賠償請求として、金三〇〇万円及びこれに対する本件雇止めの通告がなされた昭和四七年六月二九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1、2の事実は認める。

但し、原告は、昭和四七年七月一日までの間、臨時雇として約一〇回前後の任用、解免を経て集配課及び郵便課に勤務していたものである。

2  同3の事実中、(一)の事実は否認し、(二)の事実は認め、(三)、(四)の事実は否認する。(五)の事実中、予定雇用期間を設け、辞令簿を作成した事実は認め、その余の事実は否認する。(六)の事実中、雇用期間が延べ八か月に及んだ事実は認め、その余の事実は否認する。(七)の各事実は否認する。

3  同3(八)の事実中、(1)の事実は認める。(2)ないし(4)については、年々増加する事務量に伴い、非常勤職員の雇用が始まつたこと及び非常勤職員のうち一定の条件を充たす者が事務補助員の候補者の対象となつたことは認めるが、非常勤職員の労働条件が劣悪である事実、全逓と郵政省との間で非常勤職員の本務化について妥結した事実は否認し、その余は争う。(5)、(6)については、臨補規程の内容は認めるが、その余は争う。臨時補充員が本務者になるための資格要件として運用されていたとの点は否認する。(7)、(8)については、本件閣議決定があつた事実は認めるが、その余は争う。(9)の通達等の内容は認めるが、その余の事実は否認する。(10)の事実は否認する。

4  同4の事実は認める。

5  同5の主張は争う。

原告の主張は、原告の雇用が常勤化していることを前提とするもので妥当でないばかりか、その身分喪失は任期満了によるものであつて、更新拒絶でも解雇によるものでもないのである。

また、原告の臨時雇としての任用は、二か月以内の予定雇用期間を定めてなされているものであつて、期間の定めのないものではなく、このような任用がくり返されたとしても、それが期間の定めのないものに転化するいわれはないのである。

なお、仮に労基法の法理が尊重され、労基法二〇条に定める解雇予告が必要だとしても、福井局においては、原告を雇用する際に予定雇用期間を告知しているのであるから、法の要求する解雇予告の要件に欠けるところはないのである。

6  同6の主張は争う。

同6(一)、(二)のうち、郵政省が中間管理職、青少年対策に力を入れていたこと、「新しい管理者」という教科書を出したこと、ブラザー制度という名称の制度を導入したことの各事実は認めるが、郵政マル生の実態に関するその余の事実はいずれも否認し、(三)、(四)のうち全逓の組合員に関する事実は不知。その余の事実は否認する。(五)の事実は不知。(六)の事実は否認し、(七)の事実は不知。(八)の主張は争う。

7  同7の主張は争う。

原告には、主張のような期待権は認められない。

8  労働契約上の権利について

(一) 郵政職員は、国家公務員であつて、その勤務関係の基本的条件は法律によつて定められ、国の公共的目的達成のため、国民全体の奉仕者として勤務すべき公法上の特別の地位にたち、国の規律支配に服するものであつて、この点は、一般私企業における被用者が、当事者対等を原則とする私的雇用契約に基づき、単に労務給付提供義務を負うだけであるのとは異なるものである。

すなわち、公労法四〇条によれば、郵政省職員を含む四現業公務員(同法二条一項二号)について、国公法の規定中一定のものを適用除外としているが、勤務関係の基本をなす任免、分限、懲戒、保障及び服務に関する規定については、ごく限られた一部が適用を除外されるだけで、任免に関する規定をはじめ、ほとんどの規定が適用されるのである。

(二) 郵便局における非常勤職員たる臨時雇もまた、その勤務関係は、公法関係である。

すなわち、非常勤職員も一般職の国家公務員であるところ、国公法二条四項は、一般職に属するすべての職員に同法を適用する旨規定し、常勤職員であると条件付任用者(同法五九条)及び臨時的任用者(同法六〇条)であると、また、同法附則一三条に基づく人規の規定により任用される非常勤職員であるとを区別していないのである。

したがつて、郵便局における非常勤職員たる臨時雇も、一般職の現業国家公務員として、その勤務関係の基本をなす任免、分限、懲戒及び服務等については、本務者と同様、国公法及び人規の適用を受けるのである。そうすると、臨時雇たる非常勤職員に対し、右規定に反した身分の消滅事由としての私法上の解雇を認めたり、任期満了について人規八―一二第七四条に定める要件を無視して私法上の労働契約に基づく解雇に関する諸法則の類推適用を認めるなどは、とうてい許されないことである。

(三) 右のとおり、臨時雇の任用等身分関係そのものはすべて国公法等の法令によつて規制されており、原告と被告との間の任用及び勤務関係は、公法的規律に服する公法上の関係であるから、原告が主張するような労働関係でないことは明らかである。

9  職員たる地位について

(一) 臨時雇制度の概要

(1) 国公法附則一三条本文は、一般職に属する職員に関し、その職務と責任の特殊性に基づいて同法の特例を要する場合には、別に法律又は人規でこれを規定できる旨定め、これに基づく人規八―一四(非常勤職員等の任用に関する特例)一条では、「非常勤職員の採用は、競争試験又は選考のいずれにもよらないで行うことができる。」と定め、さらに人規八―一二(職員の任免)七四条一項三号では任期を定めて採用された場合においてもその任期が満了した場合、その任用が更新されないときは、職員は当然退職するものとする旨規定している。

(2) 郵政省では、右国公法及び人規の規定を受けて任用規程を制定し、非常勤職員のうち臨時雇は、中学校卒業程度以上の学力を有する者(三条五号)の中から人物試験その他必要と認める方法(六条三号)によつて任用するとし、任期は一日とするが、二か月以内を予定雇用期間としたときは、当該期間内においては任命権者が別段の意思表示を行なわないかぎりその任期は更新される(五条)旨規定している。そして、任用通達は、さらに雇用の終了につき、予定雇用期間の満了日において当然退職となるほか、予定雇用期間内においても任命権者が任期を更新しない旨の意思表示をしたときには、その日の勤務の終了をもつて当然退職となる(五条関係4の(1))旨定めている。

(3) したがつて、臨時雇における予定雇用期間の満了とは、人規八―一二第七四条一項三号によつて当然退職となる法的効果を意味するものであつて、そのためには何らの新たな手続きも要しないのである。但し、郵政省では、この場合にも、念のために臨時雇を免ずる旨発令して、臨時雇の身分を喪失したことを明確にさせている。

なお、任用規程や任用通達には、臨時雇について予定雇用期間の更新や延長の規定はなく、ただ、予定雇用期間終了後に欠務等による業務の支障があつて臨時雇を雇用する必要が生じ、かつ、他に適当な人がいない場合には、当該人について改めて新規に二か月以内の予定雇用期間を定めて臨時雇として任用できるに過ぎない。その場合でも、基本通達、運用通達によつて、前の雇用との関係から、雇用のない期間(原則として七日間、やむを得ない場合には三日間まで短縮できる。以下これを「中断期間」ともいう。)を設定することとされているのである。

(二) 臨時雇たる地位は、右のとおりであるところ、原告は、臨時雇として福井局に任用されていたものであつて、昭和四七年七月一日までを予定雇用期間として任用されたのを最後に、その後は、右期間経過後も新たな任用はなされていないのである。

そうすると、右の予定雇用期間の経過をもつて、原告が、福井局における臨時雇の地位を失つたことは、疑う余地のないことである。

また、原告は、その地位を期間の定めのない任用であるかのように主張するが、右のとおりその主張が誤りであることは明らかであり、仮に原告の任用が長期にわたり反復したとしても、任用形態そのものが変化することもないのである。

10  原告の任用状況について

(一) 任用の経緯

原告は、昭和四六年一一月四日、福井局集配課を訪れ、同局に勤務したい旨申し出た。同局では、当年の外務員採用試験はすでに終了していたが、当時年末繁忙要員を求めていたので、臨時雇ならば任用できる見込みがある旨告げ、翌日来局するように伝えたところ、翌五日に原告が再度来局した。そこで、原告に対し、任期を一日とする日々雇用の臨時雇としての雇用であること、臨時雇としての予定雇用期間の意味内容とこれが二か月以内とされていること、勤務時間、賃金及び職務内容等を説明したところ、原告がこれを了承したので、予定雇用期間を翌六日から昭和四七年一月五日までと定め、臨時雇として任用し、集配勤務に従事させた。右予定期間内、原告は、一一月は欠務後補充、一二月は欠務後補充及び年末繁忙補充、一月は欠務後補充の必要から日々雇用されていたものである。

(二) その後の任用状況

(1) 原告の予定雇用期間は、昭和四七年一月五日をもつて満了した(なお、昭和四七年一月五日は、原告は冬期請負としての仕事に従事していたもので臨時雇としての労働はない。)。

しかし、なお欠務後補充の必要が生じたので、予定雇用期間を同月一〇日から同年三月九日までと定め、原告を臨時雇として新たに任用した。右雇用は、その予定雇用期間内の同年二月二五日に至つて、原告の都合もあり、同日付で解免した。

(2) 以後、同様の事情により同月二九日から同年三月三一日までを予定雇用期間として原告を臨時雇として任用し、右雇用は会計年度との関係で同年三月三〇日付でいつたん解免し、新会計年度に入つた同年四月一日付で新たに原告を臨時雇として任用した。

(3) 同年四月一日以降は、欠務後補充の必要はあつたものの、会計年度当初の例年の状況として訓練、講習等による欠務者が減少したことにより、原告に一日終日の集配業務をさせるだけの業務量がなくなつたので、一日のうち午前中の三時間ないし四時間だけを勤務する日々雇用としたが、当時郵便課においても半日勤務の臨時雇を雇用する必要性が生じていたところから、原告に午後四時間を郵便課で勤務することについての意向を質したところ、同人がこれを希望したので、同年四月一日から同月二八日までの間、午前中は集配課で、午後は郵便課においてそれぞれ日々雇用とされた。そして、同様の事情により同年五月二日から同年六月二日まで、右と同様集配課と郵便課において原告を日々雇用した。

(4) その後、集配課に欠務者が生じたため、同年六月三日から同年七月一日まで、原告は、集配課において臨時雇として日々雇用された。そして、右予定雇用期間の満了によつて、原告は、当然退職となり、臨時雇としての身分を喪失したものである。

(三) その後原告を任用しない理由

福井局では、必要が生じた都度、二か月以内の予定雇用期間を定めて原告を臨時雇として雇用してきたが、昭和四七年六月三日からは病欠中の臼井進が、同月八日からは病欠中の奥出民男が、同月九日からは病欠中の三上忠治が、それぞれ病気が全快したことにより出勤することが予定されていた。右三名の集配課所属の本務者の出勤予定により、集配課では欠務後補充の必要が見込まれなかつたこと及び夏期繁忙要員については例年休暇中の高校生、大学生をアルバイトとして使用することが予定されていたことから、原告を臨時雇として新たに雇用する必要性がなくなつた。このため、同年七月二日以降は原告に対し新たな任用がなされなかつたものである。

11  中断期間について

(一) 昭和四七年一月六日ないし九日の中断期間

原告は、同月五日に予定雇用期間の満了によつて解免となり、同月一〇日に新たに任用されたものであつて、右の間、原告は、現実に出勤したこともない。

右の四日間は、雇用がなく、中断期間である。

(二) 昭和四七年二月二六日ないし二八日の中断期間

原告は、同年一月一〇日に同年三月九日までを予定雇用期間として任用されたが、同年二月二五日に至つて、原告から、同日午後から翌二六日にかけて自己の都合により休みたいとの申し出があつた。

福井局では、三月になると入学、就職等に関する重要郵便物が出まわり、配達作業が輻輳し、三月中も臨時雇を必要とすることが予想できたため、ここで同年二月二五日をもつて原告を解免することとし、三日間の中断期間を置いて同月二九日付で同年三月三一日までを予定雇用期間とする日々雇用をした。右の中断期間の三日間、原告が勤務していないことはいうまでもない。

(三) 昭和四七年四月二九、三〇日、五月一日の中断期間

前項(二)の中断期間後の同年二月二九日の新たな任用から起算して二か月内の期間の終期は、同年四月二八日となるが、同日までを予定雇用期間として同年四月一日に任用した原告の雇用が、同月二八日に満了し、次に同年五月二日に新たに任用されるまでの右三日間は、雇用のない中断期間である。

右三日間には、日曜日や祝日が含まれているが、郵便事業は一日たりともその業務を停止できない特質を有するものであるから、日曜日や祝日においても勤務が必要とされ、したがつて、これらの日が必ずしも週休日となるわけではない。また、中断期間は、臨時雇にとつて雇用のない期間なのであるから、たとえその期間に日曜日や祝日があつても、それが中断期間であることに変りはないのである。

12  原告の職務内容について

(一) 原告の職務内容は、一見すると本務者と変らないように見受けられるが、本務者とは本質的な相違があり、あくまで臨時的なものにすぎないのである。

集配課外務員の場合においては、臨時雇も本務者も配達すべき郵便物を区分し、道順組立をし、配達するという作業に従事するので、その限りでは差異がない。が、担当する配達区及び服務形態において本質的な差異が生ずるのである。

すなわち、配達すべき区の内容は、郵便物の量、新住居表示制度の実施の状況、同姓世帯の分布の状況及びアパートや同居人の状況によつてそれぞれ難易度が異なるのであつて、臨時雇には配達しやすい区を担当させ、その配達区に固定して仕事に従事させ、現に、原告の担当した市内三五区(当該三五区は、昭和四七年二月一五日までは三六区と指定されていた。)は、新住居表示制度が実施され、地番が整い、郵便物が比較的少ない配達しやすい区であつた。また、原告が三五区を固定して担当していたのも、本務者と異なる取扱いである。すなわち、欠務が発生し作業上の穴が生じたときに臨時雇によつて補助させるのであるが、臨時雇は、欠務により生じた配達区をどこでも担当できるものではないので、本務者間においてその日の担当替えを行なつて臨時雇が担当できる配達区をあけ、そこへ臨時雇をあてて補助させるのである。これにあたるのが原告の三五区であつて、その結果として、原告のように臨時雇は同一区を継続して担当することになるのである。

このため、臨時雇と本務者では必然的に服務形態が異なるのである。すなわち、本務者は、混合(速達や小包郵便物の配達)区や通配(通常郵便物の配達)区を循環して担当するため、勤務時間もその仕事によつて早出とか遅出の勤務につくのであるが、原告は、常に同一時間帯の勤務についていた。

原告は、昭和四七年四、五月中には一日三時間ないし四時間のパートタイマーとして勤務していたが、その職務内容も役職者である主事が担当していた仕事の一部である特配区(県庁や市役所などの大口の配達をする区で、配達箇所は五箇所のみ)を補助するという臨時的補助的な仕事の内容であつた。

また、集配課には、配達業務に必要な配達原簿の整備事務があり、本務者は、この事務を分担していたが、臨時雇である原告は、このような事務を担当させられていない。

(二) 原告が班員として福井局における業務伝達や業務研究会に参加していたとしても、これらは参加が強制されるものでなく、臨時雇が、自主的に参加していたものにすぎない。

また、臨時雇に対する被服類の貸与は、冬服及び盛夏上衣についてのみ在庫(退職者等の返戻中古品)がある場合に貸与していたにすぎず、夏服その他の被服類を本務者同様臨時雇に貸与していた事実はない。

(三) 原告は、時間外労働をしたことがあるが、人規一五―四第一項は、正規の勤務時間についての規定であつて、非常勤職員の時間外労働を否定するものではない。したがつて、この点については、臨時雇についても労基法三六条が当然に適用され、いわゆる三六協定を締結しその範囲内で時間外労働を命ずることができるのである。

そして、福井局では、時間外労働をさせた場合には漏れなく超過勤務手当を支払つている。原告に対する昭和四七年五月二〇日から同年六月二日の分については、この間、原告が、集配課と郵便課の両課にまたがつて勤務していたため、各課でその勤務時間に応じた賃金の支払いをしていたもので、その結果両課の労働時間を合計して八時間をこえる分についての時間外割増賃金相当分(右期間の合計総額金四四八円)の支払いを漏らしていたことが判明したので、後日これを支給したことはあるが、八時間をこえる分についての賃金なり手当そのものが支給されなかつた例はない。

13  臨時雇の本務者化について

(一) 郵政省における外務職員採用制度等

郵便局に勤務する外務職員に採用されるには、職員採用試験に合格することが必須の条件となつている。

すなわち、郵政省では国公法三六条一項の成績主義の原則に従い、採用規程を定めており、これによれば、郵便局外務職員の採用は、採用試験によることと規定されている(三条、四条二項)。したがつて、本務者たる外務職員として採用されるためには、右採用規程により、成績主義に基づく採用試験に合格しなければならないのである。

次に、臨時補充員については、国公法六〇条等の規定に基づき臨補規程が定められ、これによれば、その任用は選考による(五条)のであるが、これを置くことができるのは、臨時に職員を採用しなければ事業運営上重大な支障をきたすおそれのある場合(二条)、すなわち、①休職者が発生した場合、②郵政事業の合理化等に伴い過員の発生が予想される局所又はその周辺の局所において欠員が発生した場合、③国家公務員採用試験合格者のうち当該官職への採用を希望する者がいない場合及び採用規程に基づく採用試験合格者がいない場合に限定されている。したがつて、右のような場合に、選考によつて採用されない限り、臨時雇は、臨時補充員となることはできないのである。

(二) 臨時雇の本務者化の実態

原告は、臨時雇から臨時補充員へ、そして本務者へと自動的に任用される旨主張し、その根拠としてまず、昭和三五年の全逓の本務化闘争の実態なるものを主張するが、昭和三五年当時の措置は、あくまでもその時限りの措置にすぎず、右措置が、その後のものに適用されるものでないことは当然である。また、昭和三五年当時も、臨時雇たる職員がその要件に該当したからといつて、無条件で自動的に事務補助員に切替えられ本務者となつたわけでなく、ただ本務者の候補者の対象とされたにすぎない。これらの者が、本務者として採用されるためには、郵政研修所における初等部訓練の課程を終えなければならなかつたのである。

右のような措置が時限措置であつたことは、昭和三六年の本件閣議決定に基づき行政管理庁で実施した定員外職員の実態調査の結果、国家行政組織法一九条の定員に該当するものは昭和三七年度の定員に繰り入れることとし、これにより定員繰り入れの措置は終了したものとする旨の閣議決定が、昭和三七年一月一九日になされていることからも明らかである。

なお、郵政省と全逓との間に、非常勤職員を本務化するための具体的協定は何ら存在しない。

右のような時限措置が、その後継続する理由はなく、採用規程が施行された昭和四一年一一月一日以降は、同規程によらなければ本務者たる外務員に採用されなくなつたことは、当然のことである。

もつとも、ごく例外的に臨時雇から臨時補充員となり、そして本務者となつた者もいないわけではない。しかし、そのためには、前記のとおり臨時補充員となるための要件と選考(これも競争試験の一種である。)を経なければならず、また、これが本務者となるためには、郵政研修所初等部の入所テストに合格し、前期訓練を経た後、同研修所の修了テストに合格しなければならない。しかも、このような方法による本務者の採用は、極めて例外的であつて、原告が主張するように、当然かつ自動的に臨時雇が臨時補充員を経て本務者として採用されるというようなことはないのである。

なお、六か月以上臨時補充員として勤務した者が本務者となる場合がなくはないが、それは初等部訓練対象外官職の者に限るから、同訓練対象官職である外務職については、六か月以上臨時補充員として勤務したとしても、それだけで本務者になるということはありえない。

(三) 福井局における実態

福井局においても、臨時補充員は、臨補規程により公正に選考しているものであり、また、本務者である外務職員の採用にあつては、一般からの応募者たると、現に非常勤職員たる臨時雇として、あるいは臨時補充として郵便局に勤務している者たるとを区別せず、採用試験に合格した者の中からこれを採用しているのであり、原告の主張するように、あたかも当然かつ自動的に単なる形式的選考によつて臨時雇から臨時補充員、さらには本務者へ採用されるといつた実態は存在しない。福井局において本務者として採用された者の実態は、いずれも初等部訓練を無事修了した者か職員採用試験に合格した者なのである。

ちなみに、昭和四六年一一月四日に臨時雇として雇用された村井辰男は、昭和四七年一一月一〇日付をもつて本務者に採用されたが、同人は同年七月二三日に実施された職員採用試験(乙)に合格しているのである。

14  予備的請求(請求原因8)について

(一) 以上に述べた原告の地位、事実関係からすれば、原告において、雇用の継続につき法的に保護すべき期待権など何ら存在しないものであることはもちろん、期待感でさえ根拠のないものであつて、何ら保護すべき利益のないことは明らかである。

したがつて、原告の予備的請求は、前提を欠くものであつて、失当である。

(二) また、原告は、昭和四七年七月一日に当然退職となつたものであり、本件雇止めは、念のために右内容を告げた事実行為にすぎず、これに何らの法的効果を伴わないことは明らかであるから、本件雇止めを違法とするのは理由がない。

さらに、原告の臨時雇としての任用は、すでに詳述したとおり、制度的にも実態的にも適法になされており、原告の主張するような人事管理上の違法事由など存在しないばかりか、原告の右主張自体極めて不分明であつて失当である。

(三) 以上のとおり、原告には保護すべき利益もないし、被告においては、何ら違法行為は存しないのである。

したがつて、原告の予備的請求は、理由がないものであること明らかである。

三  原告の反論

任免関係、中断期間に関する被告の主張に対し、原告は次のとおり反論する。

1  被告は、昭和四七年一月五日に原告の予定雇用期間が終了し、同月一〇日に再び原告を任用したものと主張するが、同月六日ないし八日は原告は現実に働いており、同月九日は日曜日であつて週休日であるから雇用関係は継続している。

なお、被告は、同月五日は冬期請負人が休んだため、原告がその代人として働いた旨主張するが、まつたく原告の知らないことであり、仮に原告の知らないうちにそのような手続がとられていたとすれば、辞令簿上、同月五日まで原告が臨時雇の地位にあつたこととも矛盾し、辞令簿による任免手続を適正に行なつていたとの被告の主張は成り立たない。

2  被告は、同年二月二五日に原告を解免し、同月二九日に再び予定雇用期間を同年三月三一日までとして原告を任用した旨主張する。

しかしながら、原告は、同年二月二六日は私用で欠勤し、同月二七日は週休日であり、同月二八日は東京での用事が長びいて休まなければならなくなり、同日早朝に野口課長代理に電話をかけて了解を得たものであつて、いずれも雇用が継続していることは明らかである。

被告は、原告の都合もあつたので同月二五日に解免したというのであるが、翌日以降のことはまつたく不明であつたのでその日に解免手続などなしえないことはいうまでもなく、右の期間に解免及び任用がなされたことなど、原告は、同月二九日に告知されたこともないのである。

福井局の非常勤職員勤務記録書によれば、同年二月二六日の欄には原告の出勤時間、退庁時間及び勤務時間が記載されており、その上から横二線で右記載が抹消されているのであつて、これは福井局が二六日に原告の出勤を予定していたことによるものである。また、同月二八日の欄には斜の線があり原告の欠勤を示している。したがつて、同月二六日から二八日にまたがつてなされている×印と「解免」との記載は、予定雇用期間内の欠勤を奇貨として、後日書き加えられたことを推認させる。

そして、辞令簿上も、同年二月二八日という日付の記載を同月二五日と改ざんした痕跡が残つており、したがつて、これに関する原告の押印も同月二九日以降に原告が出勤してからなしたものといわざるをえない。

これらのことからも、辞令簿の記載が適正になされていなかつたことは明らかであり、被告の中断期間の主張が失当であることもまた明らかである。

3  被告は、同年三月三一日は原告を雇用していない旨主張するが、これは誤りである。

原告が、当日出勤して働いていることは、配達郵便物授受表の当日の欄に原告の押印があることからも明らかである。

辞令簿上は、原告は同日解免されていることとされている。これは、同日が年度末である関係から、書類上、臨時雇を全員解免したことによるものと推測されるが、右のとおり、これが事実に反するものであることは明らかである。

4  同年四月一日以降の雇用については、同年三月二九日、土井課長が原告に対し引き続き臨時雇として働く意思の有無を確認したうえで雇用を継続させたものである。

5  被告は、同年四月二九、三〇日、五月一日の三日間についても雇用がないと主張するが、郵便課の辞令簿をみると、原告は、同年四月二〇日付で予定雇用期間を同年六月一九日までとする任用がなされ、右任用が同年五月四日付で解免となつているのであつて、郵便課の辞令簿上雇用が継続していることは明らかである。したがつて、集配課の辞令簿のみを論拠とする被告の主張は成立しない。

しかも、右三日間のうち四月二九日は天皇誕生日、同三〇日は日曜日であつたので原告は休んだが、五月一日は一七時から二一時まで郵便課で現実に働いているのである。したがつて、辞令簿上のみならず、現実に雇用関係は継続していたのである。

6  集配課の辞令簿によれば、原告に対し、同年五月二日に同年七月一日までを予定雇用期間とする任用がなされたところ、同年五月九日には解免となり、翌一〇日は任期一日の任用をし、同月一一日には、先と同様の七月一日までの任用をしたが、翌一二日にはこれが解免となつたうえ、さらにその翌一三日には、またも先と同様の七月一日までを予定雇用期間とする任用がなされたこととされているが、このような手続をとる必然性に乏しいばかりか、郵便課の辞令簿によれば、同年四月一日付で予定雇用期間を三か月先とする同年六月三〇日までの任用がなされていることが明らかであつて、臨時雇の任免手続が著しく形骸化していたことが明白に表わされている。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一主位的請求について

一原告は、福井局に臨時雇として任用されていたところ、昭和四七年七月一日までを予定雇用期間とした任用の期間が満了した後、新たな任用行為がなされていないことは、当事者間に争いがない。

二郵政事業に従事する職員は、一般職に属する国家公務員たる身分を有するところ(公労法二条二項二号)、労働関係については、公労法四〇条、国公法附則一六条により一部労働組合法、労基法等の適用があるとされるものの、本件で問題となるその任免、分限、懲戒、身分保障、服務関係等については国公法の規定の適用が除外されていない。したがつて、本件臨時雇を含む現業国家公務員の任免、分限等の基本的な勤務関係については、非現業国家公務員と同様、公法的規制の下におかれる公法関係とみるのが相当である。

三原告は、本件雇止めには労基法の法理が適用されるべきであるとしたうえ、解雇予告のないことや本件雇止めが思想、信条による差別であり、また信義則にも反し無効である旨主張するが、右のとおり、原告の雇用関係は公法関係であつて、その任免に関して私法関係たる労基法の法理が適用される余地はないものというべきであるから、右主張は、すでにその前提において採用できないものである。

また、原告は、その雇用を期間の定めのないものとみるべきである旨主張するが、人規八―一二第七四条一項三号及び任用規程五条によれば、臨時雇は任期のある雇用形態であり、任期の定めのない臨時雇は存在しえないのであつて、臨時雇の任用が長期にわたつても任用形態が変化する理由はないから、原告の右主張も採用できない。

そうすると、昭和四七年七月一日以降、新たな任用がない以上、原告は、被告に対し、何らの労働契約上の権利も有しないし、被告の職員たる地位にもないというべきである。

四よつて、その余の点につき判断するまでもなく、原告の主位的請求は失当である。

第二予備的請求について

一原告は、福井局の違法な人事管理により、原告の雇用継続についての期待権が侵害された旨主張し、損害の賠償を求めるので、以下この点につき判断する。

〈証拠〉を総合すると、次の各事実を認めることができる。

1  原告が、福井局にはじめて任用された時の状況

(一) 原告は、昭和四六年一〇月ころから安定した就職先を探していたが、郵便局の外務職員募集のポスターを見たことがあるのを思い出し、同年一一月四日、福井局の集配課を訪れ、本務者として採用してほしい旨申し出た。

福井局では、集配課の野口崎三郎課長代理が応対し、当年の外務職員採用試験はすでに終了していること、しかし、臨時雇としてなら雇用する余地があることを原告に告げ、当日は同課の土井課長が不在のため、翌日来るように伝えた。

(二) そこで、原告が、翌五日に再び福井局の集配課を訪れると、野口課長代理は、仕事は集配課の郵便配達であること、臨時雇としての雇用は二か月単位であり、給料は一日金一二四〇円であること、勤務時間は、月曜日が午前七時から午後三時三五分まで、火曜日から土曜日までが午前七時二五分から午後三時二四分までであること等の説明をし、原告がこれを了承すると、翌日から出勤するように告げた。

郵便局における臨時雇は、任期を一日とする雇用であり、予め二か月以内の期間で予定雇用期間が定められたときには、その期間内においては日々雇用が自動更新され、右期間の満了によつて、又は右期間内においても解免によつて、当然にその地位を失うという雇用形態であつたが、右の説明の際には、臨時雇が日々雇用であることや予定雇用期間の意味等についての詳しい説明はなされなかつた。

(三) 原告が、同月六日の午前七時すぎころ、集配課に出勤していると、野口課長代理から辞令簿に押印を求められ、原告は、辞令簿の自己の欄に押印した。右の欄には、「臨時雇を命ずる。日額一二四〇円を給する。集配課勤務を命ずる。予定雇用期間は昭和四七年一月五日までとする。」と記載されていたが、この際にも予定雇用期間等についての詳しい説明はなされなかつた。

このため、原告は、自己の雇用に右の期間があることは、認識しえたが、それ以後雇用されないとは考えていなかつたし、現に以下のように雇用がくり返されるに及んで、原告においては、右の予定雇用期間の経過により以後の雇用を当然に拒否されうるものとは考えずに、後記本件雇止めの通告に至つた。

2  原告の福井局における任免等の状況

(一) 昭和四六年一一月六日、昭和四七年一月五日までを予定雇用期間として任用される。日給金一二四〇円。集配課勤務。

昭和四七年一月五日、予定雇用期間満了により臨時雇を免ぜられる。

右の期間内、原告は、集配課の臨時雇として勤務した。非常勤職員勤務記録書上、昭和四七年一月五日に原告は冬期請負人の代人として勤務したこととされている。しかしながら、原告は右事実を知らされておらず、仕事も集配課内の従前の仕事を継続していたものであつて、右は、原告がまつたく関知しないまま、記録上のみ冬期請負人の代人として働いたものとして処理されていたものである。

(二) 昭和四七年一月一〇日、同年三月九日までを予定雇用期間として任用される。条件は前回と同じ。

同年二月二五日に予定雇用期間の途中で解免される。

右の期間、集配課で勤務する。

(三) 昭和四七年二月二九日、同年三月三一日までを予定雇用期間として任用される。条件は前回と同じ。

同年三月三〇日に予定雇用期間の途中で解免される。なお、同年三月三一日は、任用がないが、原告は出勤していた。

(四) 昭和四七年四月一日、同年四月二八日までを予定雇用期間として任用。時給金一八五円。集配課勤務。

同日、同年六月三〇日まで(三か月)を予定雇用期間として重複任用。時給金一九五円で郵便課勤務。

同年四月七日、予定雇用期間の途中で郵便課の任用を解免。しかし、同月二〇日に同年六月一九日までを予定雇用期間として再び郵便課に任用される。

一方、集配課の任用は、同年四月二八日に予定雇用期間満了により解免。

右の間、集配課での勤務は午前中のみであり、郵便課での勤務は、午後五時から同九時までであつた。

(五) 昭和四七年五月二日、同年七月一日までを予定雇用期間として任用。時給金一八五円。集配課勤務。

同年四月二〇日から継続している郵便課での任用と重複するが、右郵便課の任用は、同年五月四日、予定雇用期間の途中で解免となる。

また、集配課における右任用も、同年五月九日に予定雇用期間の途中で解免となる。

右の期間、郵便課では五月一、二、四日の各午後五時から同九時まで、集配課では、同月二、四、六、八、九日の各午前八時から正午まで勤務した。

(六) 昭和四七年五月一〇日、任期一日で任用。日額金一二四〇円。集配課勤務。

同日解免。

(七) 昭和四七年五月一一日、同年七月一日までを予定雇用期間として任用。時給金一八五円。集配課勤務。

同月一二日、予定雇用期間の途中で解免。

(八) 昭和四七年五月一三日、同年七月一日までを予定雇用期間として任用。日額金一二四〇円。集配課勤務。

同年七月一日、予定雇用期間満了により解免。以後、新たな任用はない。

なお、右の間、同年五月二〇日に、同年六月一九日までを予定雇用期間として郵便課に任用され、同年五月二〇日から六月二日までの間は、現実に両課で勤務している。

3  集配課において、解免した臨時雇を再任用する場合の手続等

(一) 集配課においては、解免の日までに次の任用がわかつている場合には、野口課長代理が解免の日に次の任用を告げ、再任用の初日に出勤してきた臨時雇に辞令簿に押印させることとしていた。

この間、福井局の内部的には、当初の任用と同様に採用伺の手続がなされることとされていた。

(二) 原告は、再任用の際に、自ら新たな任用を申し出たこともなかつたし、昭和四七年三月末ころに、土井課長から四月一日以降は時間勤務になり郵便課の勤務もあること等の説明を受けた際のほかは、福井局側から特別に継続して勤務する意思の有無を確認されることもないまま、当然のように再任用の手続がとられていた。

(三) 前記のように、原告については任免がくり返され、辞令簿には、それぞれ原告の押印がなされているが、右押印は、担当者に印鑑を預けて押印してもらう場合もあり、また、任用の都度、その予定雇用期間を告知されることもなかつたため、原告は、何らかの任免に関する手続がその稼働の中途においてなされているという程度の認識はしていたものの、格別新たな任用であるという意識はなく、また、途中で再任用が拒否されるとは考えなかつた。

4  中断期間について

(一) 予定雇用期間が満了した臨時雇を再任用する場合には、基本通達、運用通達により、前の任用と再任用との間に七日間、あるいは特別の事情がある場合でも少なくとも三日間以上の雇用のない期間(中断期間)を置かなければならないものとされており、福井局も右の通達を熟知していた。

右通達に従えば、原告の八か月にわたる任用に対しては、中断期間が最低三回は必要とされることになる。

(二) しかるに、前記の原告の任免状況のとおり昭和四六年一一月六日以降、昭和四七年七月一日までの間に、原告が七日間以上継続して雇用のない期間はなく、三日間以上継続して雇用がないのも、昭和四七年一月六日から九日までの四日間(但し九日は日曜日)と、同年二月二六日から二八日までの三日間の二回しか置かれなかつた。

(三) そのうえ、右の昭和四七年二月二六日から二八日までの三日間については、原告は、右二月二六日はもともと出勤が予定されており、原告の勤務記録書の当日の欄にも予め勤務時間が記入されていた。ところが、原告は、私用のために当日出勤することができなくなつたので、その朝、福井局に電話して休暇をとつた。

その翌日の二七日は日曜日で週休日とされており、原告は、二八日から出勤するつもりでいたところ、私用が長びいたため、出勤することができなくなり、その日の朝、福井局に電話して休む旨を告げて休暇をとり、翌二九日からは通常どおり出勤した。

右により、昭和四七年二月二六日から二八日までの三日間は勤務のない状態となつたので、集配課では、同月二五日に遡つて原告を解免し、同月二九日に再任用の手続をとり、右の三日間を中断期間とすることにした(なお、被告は、昭和四七年二月二六日から二八日の三日間について、原告から同月二五日に同日午後から翌日にかけての休暇の申し出があり、同日解免したかのように主張するが、辞令簿の記載によれば、昭和四七年二月二五日付の辞令は、原告の分を除き一括決裁されており、同日付の原告の臨時雇を免ずる旨の辞令のみが次の同月二八日付の辞令とともに一括処理されていることが明らかであつて、原告に対する右辞令は同月二八日に決裁されたものと認めるのが相当であり、そのうえ、辞令簿中原告の辞令の日付がいつたん記載されたのち、同月二五日と、その「五」の部分を改ざん訂正された痕跡が認められ、右辞令簿の配列からすれば、訂正前は同月二八日付の辞令であつた可能性が高いものと認められるのであつて、被告の右主張は採用できない。被告は、また、昭和四七年四月二九日から同年五月一日の三日間も中断期間であると主張するが、右は、郵便課において原告が雇用されていることをことさら無視した主張であり、右の期間、原告は集配課において勤務はしていなかつたものの福井局における臨時雇であつたことは明らかであるから、被告の右主張は事実に反し失当である。)。

(四) 中断期間の設置は、臨時雇の常勤化防止の趣旨から通達が要求したものであつた。しかし、右の二月の際の福井局の取扱いは、原告に雇用の中断があつたことを認識させないままなされた。

結局、原告に対し、通達の趣旨に沿う中断期間が置かれたのは、前記一月の際の一回のみで、昭和四七年一月一〇日の任用以降、同年七月一日までの約六か月間は、通達の趣旨に沿う中断期間なしに任免が反復継続していた。

5  原告の勤務内容等の具体的状況

(一) 原告は、昭和四六年一一月六日に臨時雇として任用され、集配課での勤務を命ぜられた。原告は、同課の八班に配属され、市内三六区(のちに三五区と表示が変更される。)の担当となつた。

同所での原告の仕事の内容は、郵便課から差し出される手紙の入つた箱を自分の区分台に持つて行き手紙の区分けをし、これを番号ごとに順立てしたうえ適当な量に把束し、これを配達するというものであつた。

(二) 右の仕事内容自体は、基本的に本務者のそれと変わるところがなかつたが、福井局では、臨時雇には、住居表示が整つているなどして配達しやすい地域を固定して割当て、原告の担当した区もそのような区であつた。

(三) 福井局には、原告のような形の臨時雇のほかに、いわゆるアルバイト(雇用形式上は臨時雇)がいたが、アルバイトは、原告のような形の臨時雇が順立てして把束した手紙の一部を配達するなど、概ね右の臨時雇よりも限られた範囲の仕事をしていた。

また、右の臨時雇は、アルバイトのしない事故処理も担当し、本務者と同様に補食券も配られていた。

さらに、原告は、勤務中貸与された制服等を着用し、本務者らとともに自主的に局の業務研究会にも参加していた。

(四) 原告は、昭和四七年四月以降は、郵便課でも勤務することがあつたが、同課での仕事は、同課に持ち込まれた郵便物を都道府県別に分類するというものであり、集配課においては、特配区と呼ぼれる県庁、市役所等の大口配達先の配達を担当したりした。

また、雇用期間中、年末年始や繁忙時には超過勤務を命ぜられたこともあつた。

6  福井局における臨時雇の本務者化及び原告の取扱いの実情

(一) 福井局においても、かつては、郵便局に臨時雇として任用された者が、次に臨時補充員に任用されて郵政研修所に入所し、初等部研修を終えて本務者として採用される、という原告主張のような取扱いがされたことが少なくなかつた。

しかし、昭和四一年一一月に採用規程が施行されて本務者の採用は採用試験によるものとされてからは、右の取扱い自体が廃止されたものではないが、本務者として採用される者のほとんどが採用試験の合格者となつた。

(二) もつとも、右のように採用試験に合格して本務者となる者も、多くが臨時雇を経験してはいた。

このため、職場内には、原告のように約八か月にわたつて臨時雇として働いている者に対しては、将来本務者になるであろうという見方をする本務者があり、原告も当初の希望のとおり本務者となることを期待していた。

(三) 福井局では、臨時雇についても雇用が二か月を超えると、健康管理のために本務者と同様に健康診断を受けさせることとしていた。

原告は、昭和四七年二月三日、指示により健康診断を受診した。

その結果作成された「採用時身体検査表」には、採用して差支えない旨の医師の記載がなされている。

原告は、右健康診断の際に、同僚の本務者から「いよいよ採用だな。」と言われ、本務者として採用されることへの期待を大きくした。

(四) 郵政省では、かねてから非常勤職員の常勤化を好ましくないものとしていたし、福井局の土井集配課長も、臨時雇の雇用が長期化すると、中断期間を置いても、臨時雇が本務者として採用されることを期待することが考えられるので、臨時雇の雇用は四か月以内が適当と考えていた。そして、原告の雇用も長期化してきたので、昭和四七年五月には、その任用を最後に、予定雇用期間の満了をもつて原告を再任用しないものと考えていた。

また、病気で休暇中の臼井進、奥出民男、三上忠治らが同年七月には職場に復帰できる見込みであることが、同年六月上旬ころには明らかになつていたので、原告の再任用を必要としない見込みも高かつた。

このような状況において、土井集配課長や野口課長代理は、いずれも原告が本務者となる希望を有していることを知りながら、原告の同年七月以降の再任用が困難であることにつき、本件雇止めの通告に至るまで、何らの告知をしたこともなかつた。

(五) ところが、一方では、そのころ高齢退職などのために本務者に欠員が生じていたので、福井局では所轄の金沢郵政局に臨時補充員の採用を上申していたところ、採用定数四名が示達されたので、昭和四七年六月一五日に臨時補充員採用選考を実施し、その対象者に原告を加えていた。

右選考は、公募せず、本務者を希望している臨時雇に対して面接試験により実施したものであつたが、福井局では予め対象者の身元調査、学歴調査等を実施していた。

原告は、右のような選考があることも知らず、これに何らの応募もしていなかつたのであるが、選考当日、突然呼ばれて面接を受け、後に自己が臨時補充員の候補者であることを知つた。

(六) 右の選考の結果、原告と村井辰男の二人が不合格となつた。村井辰男は、原告と同時期の昭和四六年一一月四日に福井局に臨時雇として任用され、その後、原告と同様に解免と再任用をくり返していた者であり、右の時点の任用は昭和四七年七月二二日をもつて満了することになつていた。

(七) 右選考の後、六月中に、土井集配課長は翌月に予定されている外務員の採用試験のために原告ら臨時雇を集めて受験の心がまえを説明したり作文を書かせたりした。

(八) その後、まもなく、本件雇止めの通告がなされた。なお、村井辰男は、その後も再任用されて、同年一〇月まで臨時雇として働き、この間に採用試験に合格して翌一一月に本務者として採用された。原告と村井辰男は勤務成績や能力においては径庭はなかつた。

以上の各事実が認められ、前掲各証拠中右認定に反する部分は採用しない。

二ところで、郵便局における臨時雇は極めて不安定な地位の職員であるから、郵便局としては、その任用に際しては臨時雇の地位につき誤解のないように説明し、採用を申し出た者にあらぬ期待を持たせ、その結果その者が他の就職の機会を放棄するなどによつて不測の損害を被ることのないように十分注意し、任用後もこのような点に留意して人事管理すべき義務があるというべきである。

そして、前記認定事実においてこれをみると、原告が、自己の雇用が当分の間継続するであろうと考えるに至つたのは、必ずしも原告自身の勝手な希望というのではなく、福井局の原告に対する当初からの取扱いに対する信頼にも基づくものであつて相応の理由のあるものと認められ、福井局の原告に対する取扱いは、右のような臨時雇を任用する郵便局としての義務を尽くしていたとは認められないのである。

すなわち、福井局においては、原告を任用する際に、原告が本務者希望であると知りながら、臨時雇の地位、とりわけ予定雇用期間の意味について原告に理解しうるような説明をせず、二か月単位ではあるが最終的にいつまで雇用するか不明確にしたままの状態で原告を任用し、原告の意思の確認もなく当然のように数回の任免をくり返したが、その任免の際にもその状況は同様であり、しかも、通達等が要求する最低限の中断期間すら遵守することなく雇用を継続させているのである。そのうえ、このような状況において、原告の本採用への希望を知る土井集配課長は、昭和四七年五月ころには、同年七月以降は原告を再任用しないつもりでおり、客観的情勢もその見込みが高かつたのに何らこれを原告に告げることもせず、その一方では、福井局は同年六月に実施した臨時補充員選考の対象者に当然のように原告を加え、また、採用試験の心がまえを説明するなどの外形的行為をなしていたのであつて、とうてい前記のような義務を果したものとは認められないのである。

そして、原告が、自己の雇用が継続するという信頼を持つたことに多少の落度はあるとしても、右のようなそれ自体を保護しえない信頼を持たせるに至つたのは、むしろ福井局における原告の取扱いが前記義務に反し、本件閣議決定の趣旨にも、さらには任用規程、任用通達、運用通達にも反する不適切なものであつたことに多く起因するものといわなければならない。

また、原告と任用期間や勤務成績の面で径庭のない村井辰男に対する取扱いも、原告の右信頼を強める結果となつたものと認めるのが相当である。

以上の認定判断によれば、福井局は、原告に対する人事管理の面で、原告に前記のような信頼をいだかせた点につき、少なくとも過失があつたものと認めるのが相当である。

しかも、原告の右信頼は、それを直接実現できるものでないことは前に判断したとおりである。

したがつて、本件のように、右信頼が本件雇止めによつて破壊され、原告に損害が発生したならば、それは、被告の不法行為により法の保護に値する原告の利益が侵害されたものとして、損害賠償の対象となるものと認めるのが相当である。

なお、被告は、予備的請求につき、原告の期待権は主位的請求で保護されないことから明らかなように法的保護に値しない旨主張するが、原告の主張は、右認定のとおり、主位的請求において保護されないような期待を原告に与えた人事管理を違法として主張するものと解すべきであるから、被告の右主張はあたらないし、その余の予備的請求に関する主張も採用しない。

三そこで、原告の損害につき判断する。

1  まず、原告は、労働契約上の権利若しくは職員たる地位に基づく財産的損害を主張するが、右権利若しくは地位自体の存しないことは、主位的請求において判示したとおりであるからこれ自体を損害の基礎とすることはできない。

2  そして、前記のとおり、本件は、被告が原告に対し根拠のない信頼を与え、かつ、これを本件雇止めの通告により一方的に破壊した点に損害賠償責任の根拠があるものであるから、原告の損害は、右による精神的損害にとどまるものと認めるのが相当である。

3  そこで、原告の精神的損害につき検討するに、前記認定の任用の経緯、その後の勤務の状況、福井局の対応等の諸般の事情を勘案すると、原告は本件雇止めにより精神的苦痛を受けたものと認められ、本件にあらわれた一切の事情をしんしやくして、原告の右精神的苦痛は、金八万円をもつて慰謝されるものと認める。

4  また、本件訴訟につき、原告が原告訴訟代理人に本訴の提起を委任したことは、本件記録上明らかであるところ、本件事案の内容、訴訟の経緯等諸般の事情を考慮すると本件不法行為と相当因果関係のある弁護士費用は、金二万円と認めるのが相当である。

5  そうすると、原告の予備的請求は、精神的損害及び弁護土費用の賠償として合計金一〇万円と右本件不法行為による損害の生じたことが明らかな本件雇止めの通告がなされた日である昭和四七年六月二九日以降年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由がある。

第三結論

以上のとおりであつて、原告の本訴請求のうち、主位的請求として労働契約上の権利の確認又は職員たる地位の確認を求める点は、いずれも失当であるからこれを棄却することとし、予備的請求として損害の賠償を求める点は、金一〇万円及びこれに対する本件雇止めの通告により損害の生じた昭和四七年六月二九日以降右支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、右の限度でこれを認容し、その余の請求を棄却することとする。

よつて、訴訟費用につき、民事訴訟法八九条、九二条を適用して、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とし、仮執行宣言の申立てについては、その必要がないものと認めこれを却下することとして、主文のとおり判決する。

(高橋爽一郎 園部秀穗 石井忠雄)

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